釜山で会った日本語を学ぶ女子学生と現在の韓国

 韓国の国際観艦式に参加した時にバスガイドの件で紹介した韓国の女子学生は、正真正銘の美人でした。NO OPERATIONだと信じています。そして真面目な性格で一生懸命に日本語を勉強していることが、日本に行ったことがないにもかかわらず流ちょうに話すその日本語から感じることができました。ガイドの合間に色々と話をすることができました。当時21歳でしたが、しっかりとした自分の意見を持った女性のように見えましたが、岩城滉一などの日本のスターに好意を持っているところなど硬いだけではないと好感が持てました。彼氏が韓国のプロ野球の選手だと言っていましたが、当時はその年俸は相当安いものでしたので、ちょっと将来に不安を持っているようでした。
彼女は、日本との比較の中で日本女性が化粧が薄く子供っぽいと言っていましたが、確かに今でも一般女性でもその差は一目瞭然のように思います。また、韓国社会の不満を口にしていました。それは、女性が結婚するのに処女であることが求められるということです。初対面の、しかも異性にそこまで突っ込んだ話をするものかと正直驚きました。そして彼女が日本ではどうかと聞くので、「日本ではそのようなことはない。(映画やドラマなどでは)むしろ処女が敬遠されることもある」と答えると、彼女は心底驚いていました。
今、日韓関係は最悪と言われています。日本を批判するデモに女性や子供が参加している光景をテレビで多く見ますが、それを見る度にイザベラ・バート著の「朝鮮紀行」を思い出します。そこには、日本でいう明治期に、朝鮮では女性が極端に差別されていたことが書かれています。昼間、女性は外出できないのです。夜になって女性が水くみ場で洗濯物を棒で叩く音が町中に響いていると伝えています。そういう女性差別の風潮が未だに残っているのだろうと彼女の話を聞いて思いました。未だに日本統治を戦犯として非難する動きがありますが、その中に女性が含まれていることが私には不思議でなりません。20年前でさえ、彼女が言うように女性への縛りが残っているのに、日本の統治がなかったらどれだけ女性の地位が進んだのか想像できません。当時のままの女性の社会的地位であった方が良かったと思っているのか、単に無知なのか。日本との関係を見ても「無知は罪」と思わざるを得ません。
さらに言うと、同じイザベラ・バートの「日本紀行」とを比較して読むと、当時(幕末から明治初期)の日本でも不衛生、貧困、異臭など共通の特性が表現されていますが、日本人には誠実さ、信用性の高さが書かれているのに対して、朝鮮では「両班」の親族優遇による不正と
民衆に対する搾取による倦怠感がまん延する希望のない国の実情が描かれています(ただし、治政の及ばない地域では朝鮮人も創意とやる気で高い生産性を挙げる民族であることが好意的に書かれています)。歴代大統領のその後と現在の大統領府及び政権党のみならず、政治家一般を見るにつけ当時の「両班」政治、体質を残しているように思えます。日本人の信用、信頼を第一に置く国民気質と、(多分儒教思想の本質は異なると思いますが)利用できるものはとことん利用し、取れるところからはとことんむしり取ることを当然と考える朝鮮(政府)とは、根本的に相いれないことを思い起こさせました。政府間の摩擦とは別に、海軍相互は共通意識の下、連携を維持することに期待していましたが、それも裏切られた状況です。今後政権が変われば好転もあり得ますが、本意でなくとも政権によってここまで盲従する韓国国民の性質を思う時、やはり常に距離を取った付き合い方がよさそうです。日本としては、韓国に頼むことなく米国との連携を強化して対応しておく事が重要なのでしょう。少なくとも、韓国が覚醒して正気な国になるのを待つばかりです。