「青白き船乗り」執筆の理由

 この本を執筆した動機をお話します。自衛官現役のころ、飲み会などの仲間内での話もやっぱり仕事のことが中心となります。それぞれのエピソードを話すのですが、訓練での苦労話や自慢話の競争です。そういう話の中で、私が話す内容は、成果などではなく艦内外での変わった出来事が多く、仲間からそれほど多くのエピソードを持ている隊員はいないだろうと言われました。
 以前、私が乗っていた護衛艦で、私の部下にあたる隊員の奥さんが、インターネットに(元祖の)「官舎妻日記」のホームページを立ち上げていて、その投稿記事を読ませてもらいとても面白いと思いました。それで、そのような感じで、自分のエピソードを公開してみようかと漠然とは思っていましたが、公開するだけの十分なネタがあるのかも分からず、また、それをまとめるような具体的な行動もしないまま過ごしてきました。
 定年まで10年を切った頃、自衛隊教育機関で教官を務めることになりました。私が受け持つ学生は、幹部中級課程の学生で、彼らは幹部として部隊で6-8年程度の経験を経て入校した者が中心の学生で、自信もそこそこに持った元気盛り、生意気盛りの学生です。彼らに興味を引かせるためにはテキストをそのまま読み流すのではなく、自己の経験を踏まえた実践的な教育が必要と考えました。そこで、教務の合間にそれまでに経験したエピソードを踏まえて雑談的な話を交えて教務を行いました。比較的学生の受けはよかったように思います。そんな教務の終了後、ある学生が私の許に来て「教官。教官のそのエピソードを本にしてみてはどうですか。」と言ったのです。私は、以前考えたこともあったので「考えてはいるけど、どうかなぁ」とあいまいに答えました。しかし、彼の言葉でよりやってみようかなという気持ちが高まりました。それでもまだ具体的な行動を起こすまでには至りませんでした。
 そして、定年まで2年程度に迫った頃、エピソードがどれくらいあるのか書き出してみようと思い、罫紙に、乗艦してきた艦ごとに分けて書いてみました。すると、それは思いのほか結構な量になりました。しかし、訓練の内容や特殊な事情のあることなど安易に口外できない内容もあるので、それらを除外していきましたが、それでもそこそこの量にはなりました。ただ、現役中の出版するわけにはいかないので将来これをまとめる機会があれば、その時考えようと思ってその罫紙の束を大きい封筒に入れて引き出しにしまっておきました。自衛隊のOBで書籍を出版する人は多くいます。それらは大概、日本と国際環境から今後の防衛政策はいかにあるべきかとか、国防、軍事に関する歴史的な考察、自衛隊の装備係る変遷と今後の推移の見通しなど高尚なものばかりで、著者も高官の履歴者ばかりです。それに比べて自分の書くものが小さく、俗っぽいものに思えましたが、組織は人、自衛隊も人でもっているのは間違いありませんので、これまであまり自衛隊関連の書籍で触れられなかった人、特に自衛艦に乗っている乗員のことを書くのは悪いことではないと考え続けていました。特に、昨今の少子化で特に艦艇希望者が減って、その確保が難しいと言われる時期にあって、艦艇勤務の生の声を届けるのが必要なのではないかという思いが募っていきました。現職中に出版することはできませんので、退職後にいつか出版しようと思ったのでした。

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遠泳訓練
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練習船で温度瀬戸通峡
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海士の学生
 定年を迎え、造船会社に再就職しました。1年半が経過した頃、出向して、外交航路の貨物船に半年間乗船することになりました。外洋航路の船は、航海中は自衛艦とは違い当直のほかはほとんど何もやることがありません。しかも船員はすべてフィリピン人です。それで、余りある時間をどう過ごそうかと考えたときに、書き溜めたこのエピソードをまとめて、できれば本にして出版しようと思いついたのです。船に持ち込んだパソコンに原稿の束を書き起こすのに2週間程度掛かりました。そして、何か書き忘れていないか、表現はあれでいいかなどを船上で日課にしていた1日5km約1時間のウォーキング中に考えました。そうすると、1時間があっという間に過ぎますし、ふと思い出したエピソードが相当数あり、それを盛り込むことができました。
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航海中の貨物船
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船と夕日
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夕焼け