「青白き船乗り」実習幹部の遠洋練習航海

実習幹部の江杉の乗った宴練習航海部隊は、5月に日本(横須賀)を出港したのち、太平洋を渡ってアメリカ(ポートランド)をかわきりにパナマ(バルボア)を経てパナマ運河から大西洋に出てアメリカ(ノーフォーク)、アメリカ(ニューヨーク)、カナダ(モントリオール)、カナダ(ハリファックス)、アメリカ(ニューポート)、メキシコ(ベラクルス)、ドミニカ共和国サントドミンゴ)、パナマ運河を通って太平洋側に戻りパナマ(バルボア)、ペルー(カヤオ)、エクアドルグアヤキル)、アメリカ(ハワイ)を経て10月に日本に帰国する航程でした。この遠洋練習航海の前に1年間の江田島での幹部候補生教育がありますので、そこで毎月定積みでお金を貯め、さらに給料3か月分の借入金を行って軍資金としました。この幹部候補生の卒業の頃に急速に為替相場円高に進んで行きました。海外で買い物をするには円高はウェルカムです。年末に1ドル230円程度が、2月には200円程度まで上がりました。そのとき、候補生仲間の一人が、知り合いの金融関係者が言うには「これくらいが限度だ。これからは円が下がるので、今が換金時機だ」と。江杉は早速持っていたほとんどの円をドルに換金しました。しかし、その後もどんどん円高が進み、部隊が出国する頃には1ドル180円程度までに値上がりしました。結局、為替相場などに何の関心も持ったずに最後に換金した者が最も得する結果となりました。
 遠洋練習航海中は、実習幹部は旗艦である練習艦と随伴の護衛艦とに分乗します。そして、それぞれの艦の中で、艦橋での勤務、CICでの勤務、機関室での勤務を実習していきます。艦橋では艦の運航を指揮する当直士官とこれを補佐する副直士官、CIC(Combat Information Center:戦闘指揮中枢)ではCICにおける運行補佐などを、機関室では機関科副直士官としての運転指揮などを実地に学ぶのです。そのほか、対空、対潜、対水上の戦闘訓練や、防火、防水、応急操舵などの緊急部署訓練、霧中航行や洋上補給などの作業部署訓練を航海中のほぼ毎日行って、半年後の実際の配置に備えるのです。ただ、実習幹部の全員が終了後に艦艇に乗組むのではなく、航空機に乗ったり、これを整備する関係の職務に就く者もいます。その配属は、この遠洋練習航海が終了する間際に通知されるので、それまでの間は総員が艦艇勤務になる可能性があるものとして訓練に励むのです。航空機のパイロットを夢見て入学、入隊した者も最後に希望がかなわず辞めていく者もいます。
 各寄港地には、通常2泊3日程度停泊します。そのうちの1日は部隊で計画する研修ツアーで、各国海軍の施設の見学や市街地の観光施設などの見学を行い、1日はフリーの日があります。その他、交代で停泊中の当直勤務を実習したり、
夕刻のレセプションに交代で参加します。フリーの時間は、現地を肌で感じる貴重で楽しい時間でこの時間の使い方が遠洋練習航海全体の楽しみを大きく左右することは言うまでもありません。
 実習幹部のみならず乗員も帰国後の家族へのお土産を買い込みますが、勢いで買ってしまい失敗することも多く見られます。メキシコの大きいひさしの帽子「ソンブレロ」などはその代表だと思います。 ニューヨークでは、ティファニーに多くの乗員が殺到しました。彼女にプレゼントを買い求めたのです。それが功を奏したかどうかは、本人のみが知る・・・です。
 カナダは当時、三軍が統一されており、海軍の軍人の制服も支給されたものは白ではありませんでした。話をしたカナダ海軍の士官は、「海上自衛隊の白い制服が羨ましい」と語っていました。当時、自衛隊の引け目を感じていた江杉は、各国それぞれの事情を持って様々に複雑な感情を持っていることを実感しました。ペルーは当時軍政で、反政府組織の活動が活発な頃でした。街中には小銃で武装した兵士が多数配置されていました。エクアドルでは、フリーの時間に、個人的に首都のキトに行きました。飛行機を使っての移動でしたが、現地の航空機は自由席でした。首都のキトは赤道上にあり、それを示す赤いラインが地面に描いてあり、これをまたいで写真を撮るのが定番のようでした。ここは2850mの高地にあり、普段身体を鍛えている実習幹部でも僅か3階の階段を上るのにも息切れしました。艦に帰ってから教官に「本行動中に飛行機に搭乗するのは禁止されている」と注意を受けましたが、それでも印象に残る

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遠洋練習航海
貴重な体験でした。