宇高航路のフェリーさよなら👋

12月15日で、岡山県玉野市宇野港香川県高松港を結ぶ宇高航路のフェリーが運航取止めとなりました。報道にあるとおり瀬戸大橋の開通とその通行料金の値下げの影響で客足が減り経営が困難になったことが原因のようです。私は、何度か乗船したことがあります。航程の割に料金が安く、船内も広々として快適だったのを覚えています。宇野港のある玉野市には、海上自衛隊の艦艇の建造、修理に関係する三井造船の玉野工場(三井玉野)があります。私がこのフェリーに乗ったのも乗艦していた艦艇が三井玉野の工場に修理で停泊していた時でした。この時は既に大橋も架かっており、落日の気配が濃厚に漂っていました。それまで、24時間営業で運航していた便が、大幅に減っていき、その後、二社あったフェリー会社が一社になっていきました。往時、フェリー客で賑わったであろう港町も閑散として、アーケード通りの屋根が完全になくなっていました。
 私が海上自衛隊に入隊した昭和の末期、呉の艦艇に乗っていた頃、修理で三井玉野に入る艦は、呉などで修理する艦の乗員から羨ましがられていました。当時は山陽自動車道はなく、呉から三井玉野まで車で5時間くらいかかっていました。なので、ほとんどの乗員は修理期間中(1か月~4か月程度)のほとんどを自宅から離れた三井玉野で過ごさざるを得ない日々だったとしてもです。それは、当時の玉野市が活気あふれる港町であったことや、フェリーに乗って高松に繰出し、一晩中遊んでもフェリーに乗って寝て楽に帰って戻れる環境が楽しかったからでしょう。
 玉野からは、どの高速のICを使うにしても1時間以上かかり、大橋を使って四国に向かうのは不便です。フェリーの乗って渡る方が断然便利だと思います。だけども、実家が四国の人を除いて、私が乗艦していた乗員のほとんど誰も長い修理期間中に四国に渡る者はいませんでした。乗員の趣向も一般の方と同様に様変わりしています。昭和から平成の一桁のころまでは、上陸などの時も所属する艦内の班やパート単位に集団で行動することが多かったものです。大人数で同じパチンコ屋に行って、その後居酒屋やスナックで飲み、歌うなどがお決まりのパターンで、ギャンブルにハマって多額の借財を負う者や飲めない酒で体調を壊す者や酒の上のトラブルを起こす者があるなど負の側面も確かにありました。ただ、一人ではなかなか手を出しそうにない、足を伸ばしそうにない事柄や場所に行く機会を作ってくれることなど新しい発見や経験を与えてくれる機会にもなっていた気がします。いつも自室やネットカフェなどに籠ってゲームばかりに耽るのであれば、その中の数回を周りの仲間と一緒に過ごすのは悪いことばかりではないように思います。時節柄、最近「忘年会スルー」という単語をよく目にしますが、忘年会に限らず、経験豊かな上司が企画を考えて行う会であれば若い人たちにも伝わる良いところがあるかもしれません。疑似だけでは味わえない趣深い、奥の深さがあると思います。
 宇高航路のフェリーに限らず連絡船は落葉の時を迎えています。有名な青函連絡船をはじめ多くの連絡航路が廃止となっているようです。私が昔乗ったことのある呉・広島と別府を結ぶ客船「ゆふ」もかなり前になくなりました。旅行は、非日常を味わう機会ですが、車の運転に慣れた人にとって車での移動は日常です。しかし、船上の旅であれば非日常です。より非日常を楽しむためには、旅程の中に船をチョイスするのは悪くないと思います。